女子バレーボール日本代表の至宝 古賀紗理奈の軌跡

古賀紗理那(こが さりな)は、1996年5月21日に佐賀県神埼郡吉野ヶ里町で生まれ、6歳のときに父の転勤で熊本県菊池郡大津町に引っ越しました。

小学生のときにバレーボールを始め、その後、地元の強豪チームに移籍し、小学5、6年生のときには全日本バレーボール小学生大会に出場しました。

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古賀紗理奈選手の学生時代

大津町立大津中学校時代

古賀紗理奈選手は、熊本県の大津町立大津中学校に進学しました。

中学校3年生の時、彼女の名は全国に広がることとなります。

2011年8月に開催された全日本中学校バレーボール選手権大会では、チームを3位に導き、自身も優秀選手として選ばれました。

同年12月には、JOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)でJOC・JVAカップを獲得し、オリンピック有望選手にも選出されました。

この頃には、すでに彼女の才能は全国的に認知されていました。

中学入学時には166cmだった古賀選手の身長は、卒業時には180cmにまで成長しており、その身体的な進化も彼女のプレーに大きな影響を与えました。

大津中学校では、後にマラソン選手となる赤崎暁選手もバレーボール部に在籍しており、古賀選手の1年後輩として活躍していました。

熊本信愛女学院高等学校時代

中学時代の輝かしい実績から全国の強豪校から誘いを受けた古賀選手でしたが、最終的には実姉が通っていたバレーボールの名門校である熊本信愛女学院高校に進学しました。

高校ではキャプテンを務め、チームを牽引しました。

高校1年生の2012年10月には、第9回アジアユース選手権の代表メンバーに選出され、大会ではMVPとベストスコアラーを受賞し、日本チームの4連覇に大きく貢献しました。

翌年の2013年1月には、第65回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春の高校バレー2013)でチームをベスト4に導き、優秀選手賞を受賞しました。

高校2年生となった2013年4月、古賀選手は日本代表メンバーに初めて選出され、5月にはヨーロッパ遠征に参加しました。

同年6月7日には、イタリアで開催された4カ国対抗国際女子バレーボール大会(ALASSIO CUP2013)において途中出場を果たし、16歳にして日本代表デビューを果たしました。

2013年7月、福岡県久留米市で開催された全国高等学校総合体育大会では、熊本信愛女学院高校を準優勝に導き、ベスト6と優秀選手賞を受賞しました。

さらに、2013年10月にはメキシコで開催された第1回世界U23女子バレーボール選手権の代表メンバーに選ばれ、大会では全7試合中3試合にスターティングメンバーとして出場し、ベストアウトサイドヒッターを受賞する活躍を見せました。

高校3年生の2014年6月には、東京オリンピックの強化指定選手であるTeam COREのメンバーに選出されました。

同年8月には全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で決勝に進出しましたが、金蘭会高等学校に敗れてしまいました。

高校最後の大会となった全日本バレーボール高等学校選手権大会(春の高校バレー)では、学校チームを優先するために日本代表合宿のオファーを断って臨みましたが、古賀選手と他のレギュラーメンバー4名がインフルエンザに罹患し、出場不可となる不運に見舞われました。

エースの白井美沙紀選手を擁する神奈川の大和南高等学校に2回戦で敗退し、彼女の高校時代の日本一の夢は叶いませんでした。

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学生時代の総括

古賀紗理奈選手の学生時代は、その卓越した才能と努力により、数々の栄誉を手にしました。

中学時代には地元の大津町立大津中学校で全国的な注目を集め、高校時代には熊本信愛女学院高校でキャプテンとしてチームを牽引し、国内外の大会で活躍しました。

彼女の成長は、身長の伸びと共に技術的な面でも顕著であり、若くして日本代表にも選出されるなど、その実力は早くから認められていました。

彼女のプレーは、力強いスパイクと的確なブロック、そして冷静な判断力に支えられており、これらのスキルはプロ選手としても大いに役立つことでしょう。

高校時代の経験は、彼女の今後のキャリアにおいても重要な基盤となり、さらなる飛躍を期待させるものでした。

古賀選手の学生時代の軌跡は、バレーボールファンにとっても感動的な物語であり、彼女の努力と情熱が成功を導いたことを示しています。

これからの彼女の活躍にも、大いに期待が寄せられています。

古賀紗理奈選手のバレーボールキャリア

NECレッドロケッツ入団

1996年5月21日生まれの古賀紗理奈選手は、その卓越したバレーボール技術で早くから注目を集めていました。

2015年1月23日、彼女のNECレッドロケッツへの入団内定が発表されました。

このとき、彼女はVリーグの8チームによる争奪戦の末、NECレッドロケッツを選びました。

古賀選手は「NECはチームの雰囲気が良く、チームワークに優れていると感じ、自分もそのようなチームでバレーボールを楽しみたいと思いました」とコメントしています。

Vリーグデビューと初タイトル

2015年2月15日、古賀選手はV・プレミアリーグ2014/15のデンソーエアリービーズ戦で途中出場し、アタックで1得点を挙げてVリーグデビューを果たしました。

さらに、ファイナルの久光製薬戦では途中出場ながらも13得点を挙げ、NECレッドロケッツの10年ぶりのリーグ制覇に貢献しました。

ワールドグランプリとワールドカップ

古賀選手は2015年のFIVBワールドグランプリに代表メンバーとして選出され、予選を含む14試合中10試合にスターティングメンバーとして出場しました。

若手ながらも攻撃の中核を担い、チームを引っ張る存在となりました。

結果として日本チームは6位で終わりましたが、監督の眞鍋政義からは「サイドの選手で一番良かった」と高評価を受けました。

同年8月、ワールドカップ2015の出場メンバーにも選出され、世界三大大会デビューを果たしました。

古賀選手はベストスコアラー5位、ベストサーバー4位の成績を収め、ベストレシーバー賞を受賞するなど大きな活躍を見せました。

リオデジャネイロオリンピックとその後

2016年、リオデジャネイロオリンピックの世界最終予選に出場し、日本チームのオリンピック出場に貢献しました。

しかし、最終メンバーからは外れ、オリンピック出場は叶いませんでした。

同年9月、フィリピンで開催されたアジアクラブ女子選手権大会では、全試合にスターティングメンバーとして出場し、MVPを獲得。チームの優勝に大きく貢献しました。

栄光と試練

2017年、V.LEAGUE AWARDで最高殊勲選手賞とベスト6に輝き、その実力を再び証明しました。

2021年には東京オリンピックの代表メンバーに選出されましたが、ケニア戦で負傷し、予選ラウンドでの出場が制限されました。

それでもキャプテンとしてチームを支え続けました。

2022年、世界選手権で再び負傷しましたが、重要なベルギー戦で復帰し、チームの8強進出に貢献しました。

その後もNECレッドロケッツで活躍を続け、皇后杯では27得点を挙げて優勝に貢献し、MVPを受賞しました。

プライベートと未来

2022年12月31日、古賀紗理奈選手はジェイテクトSTINGS所属の西田有志選手と結婚し、名前を「西田紗理那」に変更しました。

夫婦でバレーボール界を盛り上げ続けています。

2023-24シーズン、古賀選手は天皇杯全日本バレーボール選手権大会でNECの連覇に貢献し、MVPを受賞しました。

夫の西田選手も同大会の男子部門でMVPを受賞し、夫婦でのMVP受賞となりました。

さらに、V1女子でも連覇を果たし、2シーズン連続の2冠を達成しました。

引退表明

2024年7月9日、古賀紗理奈選手は2024年パリオリンピックを最後に現役引退することを表明しました。

彼女のキャリアは多くのファンに感動を与え、これからのバレーボール界においてもその影響は計り知れないものでしょう。

所属チームと学校

  •  大津町立大津小学校(大津Jr.)
  •  大津町立大津中学校
  •  熊本信愛女学院高等学校
  •  NECレッドロケッツ

受賞歴

  •  第9回アジアユース選手権:MVP、ベストスコアラー
  •  第65回全日本高等学校選手権大会:優秀選手賞
  •  平成25年度全国高等学校総合体育大会:ベスト6、優秀選手賞
  •  2016年アジアクラブ選手権大会:MVP
  •  2017年Vプレミアリーグ:最高殊勲選手賞、ベスト6
  •  2021年V.LEAGUE DIVISION1:ベスト6
  •  2022年天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会:MVP
  •  2023年V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN:最高殊勲選手賞、サーブ賞、ベスト6

終わりに

古賀紗理奈選手のバレーボールキャリアは、輝かしい栄光と数々の試練に満ちていました。

彼女の努力と情熱は、多くの人々に勇気と感動を与え続けました。

これからの古賀選手の新たな挑戦にも期待が寄せられています。彼女の未来がさらに輝かしいものであることを願っています。

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