生駒里奈の才能を見抜いていた!秋元康の観察眼

乃木坂46

乃木坂46の1期生としてデビューし、1枚目のシングルからグループのセンターとして活躍していた生駒里奈さんについて紹介します。

秋元康さんはオーディションの時から彼女の才能を見抜いており、卒業時には「生駒里奈は乃木坂46の希望です」と発言しています。しかし、生駒さん自身は地味でいじめられっ子だったため、乃木坂のエースとして成功することができるのかについて、詳しく掘り下げていきます。

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初代からセンターを務めた生駒里奈

乃木坂46の初代センターである生駒里奈さんは、1枚目のシングル「ぐるぐるカーテン」でセンターに抜擢され、華々しいデビューを果たしました。しかし、当時の生駒さんは、嬉しい感情やグループを作るという責任感よりも、地元に戻れない不安感が強かったとされています。

この不安感によって努力を続けることができた彼女は、秋田県から1人で上京し、学校も変えてお金もかけたため、もう後戻りはできないという思いもあったかもしれません。それでも彼女はグループのセンターとして引っ張り続け、5枚目のシングル「君の名は希望」までの期間センターを務めました。

この活動期間は過酷なものであり、どんなことがあっても「やらなきゃやらなきゃ」という思いで乗り切っていたそうです。当時16歳だった彼女にとって、新たに誕生したグループの先頭に立つ重圧はあまりにも重すぎたのではないかと考えられます。

生駒さんは学校で地味でいじめられやすい立場にありました。常に猫背で自信が持てない様子で、センターに選ばれた際にもグループに迷惑をかけないように気を遣っていました。そんな生駒さんが初代センターに選ばれたにもかかわらず、自信を失っていたのは、乃木坂加入前の日々に原因があったからです。

生駒さんの人生に変化が現れたのは、地元秋田の小学校に通っていた5年生の時でした。それまで仲の良かったグループの友人たちから無視されるようになり、生駒さんの前から友達がいなくなってしまいました。そのため、生駒さんは独りぼっちで過ごすようになりました。

そして、登校するだけでもロッカーの荷物が床に散乱していることがあり、次第に生駒さんは感情を消していきました。小学校の頃の思い出は、いじめに悩まされているため、思い出すことができませんでした。しかし、母を悲しませたくないという思いだけで登校していました。生駒さんの逃げ場は、図書館で本に没頭することだけでした。

中学進学後は、いじめはなくなったものの、クラスに馴染むことができず、孤立したため、高校では部活にも入らず、もう学校を辞めたいと本気で感じていました。そんな生駒さんを心配した父親が、人生の転機となる乃木坂46のオーディションを勧めてくれました。

生駒さんは、今の生活がいじめられっ子のようなものだと感じていたため、もしオーディションに合格しても、乃木坂に加入した後もいじめられたら、辞めようという思いで参加を決意しました。

生駒里奈の強い意志を感じた秋元康

生駒さんは、父親の勧めもあって乃木坂のオーディションを受けることに決意しました。そこで、秋元さんと出会いました。秋元さんは、その時のことをはっきりと覚えていました。

周りの参加者がオーディションに合格するために、笑顔でいたりアピールし続けたりしている中で、審査員の大人たちの視線を気にして居心地悪くしていたのは、生駒さんでした。秋元さんは、そんな生駒さんの瞳の奥に強い意志を感じました。そして、他のメンバーが脱退した際に、生駒さんをセンターにすることを決断しました。

秋元さんは、これまで様々なアイドルグループをプロデュースしてきましたが、どのグループのセンターも共通しているのは、元気で明るい普遍的なアイドル性を押すのではなく、どこか影を感じさせる人間味にカリスマが宿るような面々をピックアップしてきました。

生駒さんにもオーディションでそのセンターとしての素質を感じたと考えられます。その結果、グループとしての方向性が定まらずにいた初期の頃から現在の乃木坂46のコンセプトを確立するまでの期間、生駒さんがセンターとしてやり遂げることができたのは、秋元さんが感じ取っていた強い意志があったからです。

生駒里奈が語るセンターの重圧

生駒さんは、グループのセンターを務めた期間について、「ずっと苦しかった」と当時のことを語っています。この苦しみの原因は、乃木坂46という大きな組織の中で、他のメンバーやファン、そしてプロデューサーである秋元さんや運営スタッフの思いを、自分1人で背負っていたためだと考えられます。

生駒さんがセンターとして初めて表舞台に立ったのは、当時No.1アイドルグループであったAKB48のライブ中でした。乃木坂46として初めて楽曲を披露した場所で、生駒さんは「私たちには超えなければならない目標があります。その目標とはAKB48さんです」と宣戦布告しました。まだ無名の生駒さんの宣言は、多くの人に衝撃と感動を与え、生駒さんはグループのセンターとしての活動を始めました。

生駒さんは乃木坂46のセンターとして活動する中で、大きな重圧にさらされていました。16人のプリンシパルという伝統的な舞台の記者会見で、記者から「投票によって出演者が決まるという意味で、メンバー間でライバル心はありますか?」という質問をされた際には、生駒さんは返答できなくなってしまいました。

その後、直前の出来事を思い出して泣いてしまい、会見場から逃亡してしまいました。背景には、メンバー同士の激しい心と心のぶつけ合いにより、直前に号泣したという事情がありました。

様々な葛藤があった中、生駒さんは自身のセンター時代を振り返り、「アンチの言葉しか入ってこなかった。私より全然可愛くて才能ある子なんてたくさんいるから、そっちの子の方に早く行ってよって思っていました」と、精神的に追い詰められていたことを告白しました。

生駒さんがセンターを任されていた活動初期は、その活動に必死であり、その時期についてはほとんど記憶に残っていないと明かしています。しかし、生駒さんが最も印象的だったのは、乃木坂46の6枚目のシングル「ガールズルール」でセンターが発表された時です。

新しいセンターが白石麻衣さんに変わると発表された後、生駒さんはステージ上で失神してしまいました。これは、これまでに生駒さんが感じていた圧倒的なプレッシャーが解放されたため、急に疲れが出た結果であった可能性があります。

しかし、その後の駐車場での生駒さんの姿勢はファンに印象的でした。彼女は復活し、元気に走り回っていました。生駒さんは、当時の状況を振り返り、「ずっと苦しかったけど、センターから解き放たれたときの解放感がすごかった」と語っています。それだけの重圧の中でセンターとして
立ち続けた生駒さんは、見事であると言えます。

乃木坂46がどう成長するべきか考えながら行動してきた生駒里奈

生駒さんは、センターでの重圧から解放されたことで、がむしゃらにやるだけでなく、大きな視野を持つ余裕ができ、自分の意志を一つずつ考え、しっかり持つようになりました。

彼女の成長はグループ全体にも影響を与え、公式ライバルであるAKB48は実力がはっきり出る選抜総選挙などで競争的な雰囲気を持っていましたが、乃木坂46は控えめなメンバーも多く、平和的なグループとして知られていました。これは良い面もあったが、アイドルにとって必要なのは前に出てアピールすることであり、その点では悪い側面もあったと言えます。

生駒さんは、AKB48の兼任メンバーとして、乃木坂46と他のアイドルグループとの違いを肌で感じていました。そのため、彼女は乃木坂46を変えるための努力を始めました。コンサートでは率先してパフォーマンスを行い、会場を盛り上げることや、センターではなくても選抜メンバーとして存在感を発揮すること、後輩への指導を率先して行うことで、自分が感じたものを伝えてきました。彼女のこのような行動は、グループをより良いものにするために必要だったと思いますが、新しい要素を取り入れることは勇気がいることでした。

彼女を支えたのは、乃木坂46のメンバーでした。「生駒ちゃん、大丈夫?」、「今ここにいる時はゆっくりしていて大丈夫だからね」と、AKB48との兼任で活動していた生駒さんにとって、メンバーからの励ましの言葉は大きな支えとなりました。

生駒さんは、自分だけではなくメンバー全員のサポートがあるからこそ、兼任活動を続けることができていることを実感したと述べています。もし支えがなかったら、今の自分が存在していなかったかもしれないとも述べています。生駒さんの行動は、メンバーたちにも伝わり、グループの変化のきっかけとなりました。

また、生駒さんは12枚目のシングル「太陽ノック」で再びセンターに選ばれ、グループへの貢献が認められました。彼女は初期の活動と比べ、自身のアイドルとしての考え方やグループの成長のために必要なことについて真剣に考え、大好きなメンバーたちのためにセンターとしてできることをやり遂げたいという気持ちがあったと考えられます。

生駒さんは、センターを自分のためにやりたいわけではなく、乃木坂46の現在の立ち位置に危機感を持っていて、そこから飛躍するためには現在の乃木坂46に衝撃を与えることが重要だと考えています。そして、生駒さんはそれが自分ならできると確信しています。

生駒さんはグループ加入当初から大きく成長しており、2015年の真夏の全国ツアーでセンターを務めた時には、ファンの間で伝説的なシーンが生まれました。この瞬間に生駒さんは、グループを卒業することを決意しました。

その理由として、「区切りが良かったんですよ。センターをやって外れてAKB48と兼任をして戻ってきてセンターというので、自分的にアイドルとしてやりきったと思って、1段大きくなった乃木坂でいろんなことも見れて楽しくて、新たに舞台に興味を持ったこと」と説明しました。

そして、この年グループは、当初からの目標として掲げていたNHK紅白歌合戦に出場することとなり、生駒さんが再びセンターとなったこの年、宣言通りグループを大きく飛躍させました。

秋元康が見抜いた生駒里奈の才能

秋元さんはオーディション時から、生駒さんが持つ強い意志を感じて、センターに選抜したそうですが、生駒さんにどのような才能を見出したのでしょうか。

最初は生駒さんの強い意志だけで選ばれたのかもしれませんが、活動を通して、生駒さんには確かな才能があることがわかりました。その才能は、異常に高いパフォーマンス力にあると言えます。センターのポジションで目立つことは、中心にいるため当然かもしれませんが、生駒さんは他の誰よりも目を引きます。

センターでなくても、どんなポジションでもすぐに見つかってしまうほどです。この圧倒的なパフォーマンス力こそが、生駒さんの才能であり、楽曲披露中の表現力の高さは目を見張るものがあります。

乃木坂46には多様な才能を持ったメンバーが所属しており、その中で生駒さんが中心に立っても、全く引けを取らないどころか、輝いています。その理由は、彼女が持つパフォーマンス力の高さによるものであり、他のメンバーとは一線を画す存在感を示しています。そのため、生駒さんが乃木坂46の中心に立ち続けても、違和感を感じることはありません。

生駒さんが初代センターに任命された理由は、秋元さんが彼女の才能を見抜いていたからかもしれません。彼女がオーディションでその強い意志を見せたことも影響したかもしれませんが、活動を通して彼女が持っていた才能が明らかになりました。

生駒さんはセンターでのパフォーマンスだけでなく、どのポジションでもすぐに目を引く存在感を持っており、それが彼女の圧倒的なパフォーマンス力の高さにつながっています。この才能を見抜いた秋元さんは、生駒さんに大いなる可能性を感じていたのかもしれません。

生駒さんは2018年4月に日本武道館での卒業コンサートを開催し、多くの関係者が卒業についてコメントを発表しました。その中で、秋元康が生駒さんを「乃木坂46の希望」と評したことが報じられています。そして、最後に映し出されたモニターには、秋元さんの姿が映っていたということです。

乃木坂46の生駒里奈さんに対して秋元さんは、5枚目のシングル「君の名は希望」の歌イメージが自分生駒さんであることを告白しました。そして、「生駒里奈さんは乃木坂46を卒業しても、ずっと乃木坂46の希望でいてほしい」と卒業へのメッセージを残しました。

これに対し、生駒さんは「そんな希望じゃないよ」と否定しましたが、「私がやりたいことはこれからも乃木坂46の希望になること。自分の夢のために卒業するわけですが、私を作ったのは乃木坂46なので、そのために一生懸命頑張りたいと思います」と前向きな発言をしました。

生駒さんは、乃木坂46に感謝しており、卒業後も乃木坂46に貢献し、在籍中のメンバーの目印のような存在になりたいという思いがあると考えられます。ファンからは、「約7年間乃木坂46を引っ張り続け、ファンに素晴らしい景色を見せてくれて本当にありがとう。生駒里奈は乃木坂46の終身名誉センターです」と感謝の声が届いています。

ファンも、生駒さんのこれまでの活動とグループへの貢献には感謝しており、これからもグループの中心は生駒さんだという意志の表れが「終身名誉センター」という言葉に込められていると考えられます。

猫背だった少女が、グループに加入した当初はセンターとしての重圧に耐えることに必死でしたが、ある時を境に胸を張り前を見て、次のステップに進み出しました。その瞬間が生駒里奈にとっての転機であり、彼女がいたからこそ、乃木坂46は成長することができたのです。

AKB48に決死の宣戦布告をしたあの日から始まった生駒さんのグループでの活動は、在籍中常に乃木坂46と共に成長し続けたものでした。彼女は初代センターとして慣れないポジションで必死にメンバーを引っ張り続け、AKB48の兼任メンバーとして、どちらのグループにも疎かにならないように必死に活動し続けました。

グループの先頭に立つ身として、賛否両論を一身に浴び、幾度も泣きながら、グループの知名度を上げるためにパイオニアとして体当たりで道なき道を進んできました。現在、アイドル界のナンバーワンとして称されるグループに成長した背景には、生駒さんの存在があったことは間違いありません。

生駒さんはグループに加入した当初、自分自身を「トラウマ級の傷を負っており、二重人格レベルで昔と今が異なる。どちらかというと根暗な人間だった」と振り返っています。しかし、「過去を忘れずにいようと思いつつも、過去に囚われていては現在の自分が報われない。支えてくれるメンバーのおかげで、私は変わることができた」と、成長を実感したと語りました。

デビュー当初から周りの重圧に負けずにセンターを務め、乃木坂46と共に坂道を登り続けた生駒さんがいたからこそ、今のグループが存在しているのです。現在では、正真正銘のアイドル界ナンバーワングループとしての地位を確立しています。

まとめ

今回は、秋元さんだけが生駒さんの才能を見抜いたというエピソードについて紹介しました。

生駒さんの才能は、オーディションの時から秋元さんに発見され、その結果乃木坂46を日本のトップアイドルとして成長させる功労者となりました。乃木坂46が現在の地位を築くまで、生駒さんは多くの壁やプレッシャーを乗り越え、熱心に取り組んできました。

今後は、乃木坂46と生駒さんの更なる飛躍に期待したいと思います。

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