志村けんといえば、芸能界を代表する人物のひとり。しかし、彼にも知られざる一面があります。
長年付き従ってきた弟子兼付き人が2回だけ怒られた出来事や、ダチョウ倶楽部に対して怒った可愛らしい理由など、意外なエピソードが隠されているのです。
今回は、そんな志村けんの絶大な人気を誇る一方で、知られざる一面に迫ってみましょう。
それでは早速普段怒る事が無い志村けんさんが珍しく激怒したエピソードを紹介していこうと思います。
有名芸能人や自分のお弟子さんへと愛のこもった激怒のエピソードの数々を見ていきましょう。
宮迫博之さんは、志村けんさんの誕生日パーティーに仕事で参加するために遅れて到着しました。
しかし、すでに深い時間であり、パーティーメンバーはすでに酔っていました。 宮迫さんは志村さんの近くに座り、女医である西川先生が宮迫さんのアクセサリーやファッションを褒め称賛したことから、雰囲気がおかしくなっていきました。
急に、志村さんが「チャラチャラチャラチャラ、芸人がよう」と言い出し、宮迫さんや他の芸人たちを叱り始めました。志村さんは、「見た目とかそんなことは関係ない、芸で勝負しろ!」と言い、宮迫さんは素早くアクセサリーを外して事態をなだめようとしました。
ところが、タイミングが悪く、別の部屋にいたココリコの遠藤さんが入ってきました。
遠藤さんは、宮迫さん以上にチャラい格好をしており、志村さんの怒りが再び爆発してしまいました。
その結果、「全員集まれ!」と言われ、再度説教が始まってしまいました。
宮迫さんは自分にとって唯一の頼りである、付き合いの長いダチョウ倶楽部に「何とかしてくれよ!」と助けを求めました。
ダチョウ倶楽部は、全裸になって空気を修復することで助けこそしたものの、パーティーメンバーの間にピリッとした空気が漂っていました。最終的には、全員が裸になって円陣を組むことで、「そんなことでもないか」と落ち着きを取り戻しました。
そんな中、俳優や女優は帰宅してしまい、芸人たちだけが残っていました。志村さんは、「芸人はいいよな」と言って、絆を深めたのでした。
次に、島田紳助さんにも気に入られ、しっかりと芸能界に自身のポジションを築き、その後志村さんにも気に入られ、『だいじょうぶだ!』や『バカ殿様』などでも共演した女優の島崎和歌子さんについて紹介します。
彼女は最初は女優として芸能界でデビューしましたが、徐々にバラエティでの才能を発揮し、芸人とも深いつながりを作ったことで、志村さんファミリーとしても知られるダチョウ倶楽部の上島さんが亡くなった際には、竜兵会メンバーが語る思い出に唯一の女性として出てくるほどでした。
上島さんの棺には、おでんの他に、島崎さんの若い頃の写真集を胸に抱かせて送り出されたとのことです。
また、上島さんの一周忌では、法事後仕事があるからと有吉らが続々と帰っていく中、親族と共にご飯に行き、8時間お酒を飲むなどのコミュ力を発揮しました。
芸能界では酒癖の悪さで有名な和田アキ子さんになぞらえ『ミニアッコ』と呼ばれるほど、自身の酒癖の悪さも有名で、IMALUさんと二人で飲みに行った際には、酔った島崎さんがIMALUさんの胸を触りながら飲み、父親の明石家さんまさんにメールを送ったりと悪酔いっぷりを見せたそうです。
さらに酔うと人に噛み付く癖があるという島崎さんが、ダウンタウン松本さんと一緒に飲んだ時は、松本さんがあちこち噛まれ、次の日にシャワーを浴びると体中噛み跡だらけだったそうです。
水泳の北島康介さんも一緒に飲んだ際は、鍛えた体を見せてくれとせがまれると、北島さんが上半身裸になると島崎さんがその裸にいきなり噛み付いたとのことです。
また、飲み会から帰ろうとしたナインティナインの岡村さんを追いかけ、タクシーに乗った岡村さんの足を引っ張り引きずり下ろすなど、数々の伝説がある島崎さんですが、志村さんとの親交が深く、志村さんの誕生日会にもほぼ毎年出席するほどでした。
ただ、お酒が入ると悪酔いしてしまうため、二度志村さんに怒られたことがあるそうです。
1度目は、誕生日会の時に、志村さんを喜ばせようと思った島崎さんがセーラー服で登場したのですが、誕生日会に出席していた中山秀征さんが「あいつの良かれは決して良かれではなく、裏目に出ることはよくある。喜ばせるためにやりすぎて、誰も喜んでいない」と語るように、志村さん本人は全く喜んでおらず、結局島崎さんは叱られてしまいました。
島崎さんが振り返っているところによると、人間が本当に怒る時は低いトーンなんだとか。「怒鳴ってくれるんだったら良かったんですけど、「なんだお前、その格好ふざけてるのか」と」。
また、普段から島崎さんの酒癖の悪さを注意することがあった志村さんですが、ある食事会で、島崎さんが酔って自分よりも目上の人に対し管を巻き絡みだしたことに志村さんは腹を立て、声を荒げることはなかったものの、「もうあいつの顔は見たくない」と呆れていたそうです。
志村さん自身は、年下だろうと初対面の人には敬語を使い、礼節を重んじるタイプでしたので、度重なる島崎さんの酒癖に呆れてしまったのかもしれませんね。
志村さんの弟子であり、志村さんの支援により芸能界に入ったという乾き亭げそ太郎さん。
現在は鹿児島でレポーターとして活躍をしています。
げそ太郎さんは、志村さんが亡くなった際に上島さんからビデオ通話を受け、泣きながら会話をしたり、志村さんが亡くなって間もない当初は取材依頼を全て断っていたことを話したところ、「馬鹿野郎、それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだ」と上島から叱られるなど、志村さんファミリーと非常に近い関係にあったという。
また、90年代には「ドリフ大爆笑」や「志村けんの大丈夫だぁ」などの多忙なテレビ番組に出演し、竜平会の一員であったげそ太郎さんは、7年間にわたって志村さんのそばに居続け、志村さんの好きな付き人や運転手のエピソードの多くはげそ太郎との話であるとされています。
志村さんとげそ太郎さんの有名なエピソードの一つに、田舎から出て来て、高級車を運転することとなったげそ太郎さんが、バックミラー越しに志村さんを見たところ、信号に止まり、車が通るたびに通行人にお辞儀をしていたことがあります。
「志村さんさんはすごいですね。信号待ちするたびに通行人にお辞儀をしているので、びっくりしました」とげそ太郎さんが言うと、志村さんは「違うよ、お前がブレーキをいつも強く踏むから頭が前に倒れるんだよ」と笑いながらげそ太郎さんをからかったそうです。
これによって志村さんの人柄の一面が垣間見え、多くの人々から愛された理由の一つであったことがわかります。
志村けんの弟子兼付き人である乾き亭げそ太郎さんが、志村さんの高級車に大きな傷を付けた時でさえ、志村さんは「まあ仕方ねえな」と怒ることなく、むしろ叱らずに済ませていることがあったそうです。
また、ロケでスウェーデンに行った際には、普段は飲まないげそ太郎さんが酒を飲み、翌朝、志村さんから預かっていたパスポートやカード、現金などが入ったバッグをタクシーに忘れてしまったことがありました。
当時、CM撮影の予定があり、遅れたら億の損害になる可能性があったため、げそ太郎さんは志村さんに伝えると、「あっそう、しょうがねえなあ」とたった一言で叱られずに済んだのです。
しかしながら、志村さんがげそ太郎さんに怒ったのは2回だけあったそうです。
20年以上前、げそ太郎さんが髪の前髪の一部を緑色にしてきた時には、「その髪は何だ、その緑色の髪をしてサラリーマンや通行人の役ができるか。そんな奴いないだろう。お前はどの役をやるつもりんだ、自分がコントに出るときに、そんなリアリティのない髪色していてふざけていないか。黒く染め直してこい」と叱責されたのです。
志村さんは、芸の道を志す弟子として受け入れた人物に対し、責任を持って接することを忘れなかったのである。
しかし志村さんは遅刻をとても嫌うことで知られており、番組収録だけでなく、自身の誕生日会ですらも30分から1時間前には到着していたとされています。
ある日、バカ殿の収録があった際、げそ太郎さんが寝坊してしまった時には、志村さんは不機嫌な表情で何も言わずにいました。
その後、志村さんは共演者と飲みに行き、上島を連れて、さらに2軒目へと向かいました。
しかし、空いているお店がなくなり、ファミレスに移動することになった時、運転手をしていたげそ太郎さんは呼ばれ、朝7時まで遅刻をしてはいけない理由を説明されたそうです。
志村さんは、普段は温厚であるが、芸能界を夢見た弟子たちに対しては、非常に責任を持って接していたのでした。
次に、2013年のザ・漫才王者に輝いたウーマンラッシュアワーの話題をご紹介します。
ウーマンラッシュアワーは、あの村本大輔さんの捲し立てるような早口が売りで、スピード感のある漫才で観客を巻き込み、爆笑を誘うものです。
しかし、王者に輝いた後、志村さんは自身のラジオ番組で、「全然何言っているかわからないの。お客さんは受けてるんだけど、わかって受けてるのかな」とウーマンラッシュアワーを辛辣に批判し、「ほんと、正直、俺たちの年代は笑えない」と評価を下しました。
この志村さんの意見に対して、村本さんは「1意見として聞き入れる」とコメントしています。
その後、自身のラジオでの発言が村本さん批判として話題になっていることに対して、志村さんは「批判とかじゃなくて、俺はそう思ったってだけ」と説明し、ウーマンラッシュアワーが観客によってネタのスピードを調整できることを知ると、「あそう、それぐらいの技はあるだろうな」と認めました。
そんなやり取りがあったからか、ドリームマッチに出場した際、コンビを組んだ平成ノブシコブシの吉村さんがネタ中に村本さんにアドリブをぶっ込まれると、審査員を務めた志村んに呼びかけ、「前にラジオで、村本が漫才で何言ってるかわからないって言ったでしょ。こいつ、面白くないんですよ」と、すかさず村本さんも「志村さんも早口すぎて何言ってるかわからない」と返し、批判をふっかけあって、ネタにしてしまいました。
志村さんも、村本さんも相手に対する批判をネタにして、お互いを褒めるという結果にたどり着いたことで、わだかまりが残っていないことをアピールしました。
次に登場するのは、ダチョウ倶楽部で活躍した肥後さんと上島さん。
彼らは基本的に怒られることがなく、一切のダメ出しもされず、可愛がられていたという。
とはいえ、志村さんの家が泥棒に入られた時には、肥後さんと上島さんは各方面からたくさん心配の電話が来るだろうからと、あえて電話しなかったそうです。
しかし、次の収録の日に志村さんに会ったところ、「みんな電話してきたのに上島と肥後だけなんで電話しないんだよ」と怒られた。
上島さんたちは「大勢から電話が来て大変だろうし、収録で会えるから」と言うと、「なんで電話しないんだよお前らから一番電話欲しいんだよ」と意外にも構ってちゃんな態度を取り、上島と飲みに行く仲になった。
ただ、この頃の志村さんは、「俺が誘うばっかりじゃなくて、本当はお前とかダチョウ倶楽部の方から今日連れて行ってもらえませんか?と言ってくるのが筋なんだよ」と後輩に誘ってもらえるのを期待していたようだ。
上島さんは、よく叱られていたようである。飲んでいる時に旅番組の話になって、カメラマンって必要ない時もずっととってますよねとこぼしたところ、志村さんから「だから打ち合わせの時に企画をちゃんと聞いて提案するんだろう。マネージャーが持ってきた時はOKしておいて、現場で急に文句を言ってもダメ。何もしないでお前は何を言ってるんだ」とど正論を言われることも多かったそうだ。
志村さんが上島さんに叱責を与えていても、どこか愛のある態度であったため、芸能界お茶の間から愛されていたのではないかと思われる。
今回は普段温厚で怒る事があまりない志村けんさんが珍しく激怒したエピソードを紹介しました。志村さんは怒っても理不尽に怒る事が無く、愛のある怒りであることが良くわかりましたね。
プロの芸人としてブレる事の無い志村さんの意志はすごいですね。