女子バレーボール日本代表 岩崎こよみ選手の軌跡

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背景と幼少期

岩崎こよみ(旧姓:冨永)は1989年5月1日に生まれ、2人姉妹の次女として育ちました。

彼女がバレーボールを始めたのは小学3年生の時で、姉の影響が大きかったと言われています。

通っていた学校は狛江七小(狛江セブン)で、ここでバレーボールの基礎を学びました。

岩崎こよみ選手の中学・高校時代の輝かしい記録

岩崎こよみ選手は、バレーボール界でその才能を早くから発揮し、多くの人々を魅了しました。

彼女の中学・高校時代の記録は、その後の輝かしいキャリアの礎となりました。

中学時代:狛江七小からの飛躍

岩崎選手は東京都狛江市にある狛江七小(狛江セブン)でバレーボールを始めました。

小学3年生の時、姉の影響を受けてバレーボールに興味を持ち、その才能をすぐに示しました。

狛江七小でのプレーは、彼女にとって技術の基礎を築く重要な時期でした。

彼女は基本的なスキルを習得するだけでなく、チームプレーの大切さや戦術の理解を深めました。

彼女の卓越した反射神経と素早い判断力は、すでにこの時期に際立っていました。

高校時代:下北沢成徳での輝き

中学を卒業後、岩崎選手はバレーボールの名門校、下北沢成徳中学校・高等学校に進学しました。

高校時代、彼女はアウトサイドヒッターとして活躍し、その抜群の身体能力とスキルでチームに貢献しました。

彼女のジャンプ力とスパイクの正確さは、対戦相手にとって脅威となり、多くの試合で決定的な役割を果たしました。

全日本ジュニア代表に選ばれた彼女は、アジアジュニア選手権や世界ジュニア選手権での経験を積み、国際舞台でもその名を知られるようになりました。

高校3年生の時には、チームのキャプテンとしてチームを牽引し、全日本高等学校選手権大会(春高バレー)での優勝を目指しました。

彼女のリーダーシップとプレーは、チームメイトに大きな影響を与え、下北沢成徳高校を全国トップクラスのチームに引き上げました。

彼女の指導力と精神的な強さは、チーム全体の士気を高め、困難な状況でも冷静に対処する能力を見せました。

岩崎こよみ選手の中学・高校時代は、彼女の成長と輝かしい未来を予感させるものであり、今後の更なる活躍が期待される選手です。

彼女の努力と情熱は、多くの若い選手たちにとっても大きなインスピレーションとなり続けています。

プロ選手としての岩崎こよみ選手の輝かしいキャリア

岩崎こよみ選手(旧姓:冨永)は、バレーボール界でその名を広く知られる存在となりました。

彼女のプロとしてのキャリアは、多くの困難を乗り越えながらも数々の栄光を築いてきました。

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パイオニアレッドウィングス時代の成長と挑戦

2008年、岩崎選手はパイオニアレッドウィングスに入団し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。

彼女は入団直後からその才能をいかんなく発揮し、チームの中核として活躍しました。

2009年4月には全日本女子代表メンバーとしてセッターに登録され、モントルーバレーマスターズで国際大会デビューを果たしました。

初の国際大会でのデビューにも関わらず、彼女は冷静なプレーでチームを支えました。

同年のワールドグランドチャンピオンズカップにも出場し、その実力を世界に示しました。

2011年にはチームの副主将に就任し、リーダーシップを発揮しました。

翌年にはコートキャプテンとしてチームを牽引し、若手選手たちの成長をサポートしました。

しかし、2012年12月のVプレミアリーグの試合中に左足アキレス腱断裂という重傷を負い、長期離脱を余儀なくされました。

それでも、彼女は諦めずにリハビリに励み、2013年の第68回国民体育大会で見事に復帰しました。

この大会では、彼女の冷静なプレーとリーダーシップにより、チームを12年ぶりの優勝に導きました。

埼玉上尾メディックスへの移籍と新たな挑戦

2014年、パイオニアレッドウィングスの廃部に伴い、岩崎選手は埼玉上尾メディックス(旧・上尾メディックス)へ移籍しました。

新たな環境での挑戦にもかかわらず、彼女の活躍は変わらず続きました。

2017年には中田久美体制の全日本メンバーに登録され、7年ぶりに代表復帰を果たしました。

この復帰は、彼女の努力と不屈の精神が評価された結果でした。

同年のワールドグランドチャンピオンズカップでは、ブラジル戦での見事なプレーにより、日本チームを勝利へと導きました。

この試合は、彼女のキャリアの中でも特に印象的な瞬間の一つとなりました。

海外挑戦と帰国後の活躍

2018/19シーズンにはイタリアのラルディーニ・フィロットラーノに期限付き移籍し、海外での経験を積みました。

異国の地でのプレーは、彼女にとって新たな挑戦であり、異なるバレーボール文化や戦術を学びました。

2019年には再び日本代表に選出され、国際舞台でその実力を発揮しました。

彼女の経験と技術は、チームにとって大きな財産となり、若手選手たちにとっても貴重な学びの機会となりました。

妊娠・出産と復帰

2020年、岩崎選手は第一子を妊娠し、シーズンを欠場しましたが、2021年に男児を出産し、再びコートに戻ることを決意しました。

出産後の復帰は容易ではありませんでしたが、彼女は地道なトレーニングとリハビリを重ね、再びトップレベルのプレーを見せました。

同年7月には登録名を「冨永こよみ」から「岩崎こよみ」に変更し、新たなスタートを切りました。

この変更は、彼女にとって新たなチャレンジの一環であり、心機一転して更なる飛躍に期待されています。

プレースタイル

岩崎選手は高校時代までアウトサイドヒッターとしてプレーしていましたが、パイオニアレッドウィングス入団後にセッターへ転向しました。

彼女のプレースタイルは、セッターとしての役割に加えて、試合途中ではオポジットとしても活躍する多才さが魅力です。

高さを生かしたツーアタックや、ラリー中に積極的にスパイクを狙う姿勢は、彼女の大きな強みです。

所属チームと球歴

岩崎選手がこれまでに所属していたチームは以下の通りです

  • 狛江七小(狛江セブン)
  • 下北沢成徳中学校
  • 下北沢成徳高校
  • パイオニアレッドウィングス(2008-2014年)
  • 上尾メディックス/埼玉上尾メディックス(2014-2018年)
  • イタリアのラルディーニ・フィロットラーノ(2018-2019年)
  • 埼玉上尾メディックス(2019年-)

球歴としては、日本代表として2009年から2010年、2017年から2019年、そして2023年から再び活躍しています。特に2009年と2017年のワールドグランドチャンピオンズカップ、2018年の世界選手権、2024年のネーションズリーグなど、多くの国際大会でその実力を発揮してきました。

受賞歴

岩崎選手の受賞歴には、2017年のバレーボール・ワールドグランドチャンピオンズカップでのベストセッター賞があります。

この賞は彼女のセッターとしての優れた技術とチームへの貢献を評価されたものであり、彼女のキャリアの中でも重要なマイルストーンとなっています。

まとめ

岩崎こよみ選手は、その多才なプレースタイルと強い精神力で、日本のバレーボール界において重要な存在であり続けています。

彼女のこれまでのキャリアは、数々の挑戦と成功、そして個人的な喜びに満ちています。

これからも彼女の活躍に注目し、その成長を見守りたいと思います。

 

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あきと